「最後」と「最期」。そして「最期」に立ち会うという事。

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さて、皆さんは「さいご」と聞くと、どのような漢字を想像されますか?

「最後」でしょうか?
それとも
「最期」でしょうか?

恐らく私達が日常的に使うのは「最後」ではないでしょうか?

この2つの違いですが
「最後」
1)最も後であること
2)最終
3)終末
4)物事の終わり
などの意味があり、必ずしも全体の最後を表す訳ではなく「一列目の最後」や「第二話の最後の場面」という具合に部分的な最後やある程度続いているものの終わりを表す時にも使うそうです。

そして

「最期」
1)命の終わり
2)死に際
3)臨終
4)滅亡
などの意味があり、生涯に1度しかこない時を表しているそうです。

福祉理美容を行っていると「人の死」つまり「最期」に関わる事は決して珍しい事ではなく、何度経験しても慣れる事はありませんし、慣れてはいけない事だと思います。

家族でも、今年の2月と8月に2人の叔母が他界しました。
たった5つしか歳の離れていない先輩は今月他界しました。

お客さまも家族も先輩や友人も、そして全ての人が、かけがえのない存在で等しく尊い命です。

8月に叔母が他界した時は、このような事を学びました。

夕方、携帯電話に訃報が届き病院へ駆け付け、到着したのは自分が最後でした。

訃報を受けて当日に集まれる親族全員が来た事を確認して15分程経った時に、お医者さんが病室に来られました。

そして、心音と瞳孔を確認し死亡宣告をされたのですが、これ、ちょっと不思議に感じませんか?

「亡くなった」と聞かされ集まってから死亡宣告・・・

では、「亡くなった」と聞かされた時は生きていたのでしょうか???

これは不思議に感じたので病院の職員さんに聞いてみると、「死に目に会う(最期に立ち会う)」というものにはやはり特別な意味があり親族や親しい友人が故人の「死に目に会えない(最期に立ち会えない)」事で、何ともいえない後悔の念に苛まれないよう、加えて「故人の最期が孤独にならないため」に「人の最期を1度ではなく確認も含め2回行う」という、病院独自の配慮だそうです。
※なので当然、死亡報告書に記載されるのは2度目(死亡宣告をされた)時間。

この事を聞いた時、粋な計らいだなと素直に感動しました。

だって親族で最も遠い場所にいた自分が、理屈じゃなくって叔母の最期に臨終に立ち会えたのだから。

長い短いではなく、全ての人に必ず訪れる最期。

その瞬間に、そっと寄り添う粋な計らいから
「本人だけではなく、その家族や周囲の人にもっとできる事はないだろうか?」
闘病生活を走り抜けた叔母から、そのような宿題を頂いた今年の夏なのでした。

おしまい。

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「せっかく、良かれと思ってやったのに・・・」

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きれいや総研主催の養成講座だけではなく、最近ではありがたい事に福祉施設でおこなわれる研修に呼んで頂く事が多くなりました。

先日、ある福祉施設のフロアリーダーを対象とした研修にお呼び頂き少しお話しをさせて頂く機会を頂戴しました。

研修のテーマは夏から秋にかけての新人教育とコミュニケーションについて。

春に入社された新人職員さんも8月9月になると「慣れ」から大きな事故に繋がる事もあり、また何より大切なのはその「事故の兆し」に気付けているかという事。
そして、フロアリーダーはどのようにコミュニケーションを取り教育をしていき現場を安全に保つか。

まぁ〜〜〜〜〜
こうして書くのは簡単ですが
「それは良いアイディア!」
「なるほど!それいただきっ!」
という意見や
「おいおい、さすがにそれは・・・」
と、いうものまで、色々な意見がアチラコチラから飛び出てきます。

そんな中、フロアリーダーを悩ましているケースとして一番多く上がったのが、間違いや危険を指摘したときに「慣れてきたと思ってる新人さん」から言われる
「せっかく、良かれと思ってやったのに・・・」
という言葉。

ええ。
自分も今月初めにいわれましたよ(笑)

今回の研修の中で出てきたケースを公表できる範囲で書かせて頂くと

とある利用者さんが耳を真っ赤にし咽せて(むせて)おられるの発見した新人職員さん。
その姿を見るや否やコップに水を入れて差し出した所を、それを目にした通りがかった先輩に注意され
「だって、苦しんでおられるじゃないですか!せっかく、良かれと思ってやったのに!」
と、なったとの事。

これ、養成講座でもお話しさせて頂いていますが、現場を御存知の方なら御理解を頂けると思うのですが大変危険です。

もし・・・

この利用者さんに嚥下障害があったら・・・
慌てて飲んだ水は気道に入ってしまい誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)になり最悪、その後の人生、命に関わってきます。

この時の最適解はどうだとかというお話しではなく、このような状況の時にこの対応した職員さんの選択肢が1つしかない事が問題。

もちろん利用者さんのADLや現場環境によって、現場での教育のタイミングは様々ですが限られた時間の中で教育する、そして、その伝え方。
けっして100%の答えがあるとは言いません。

しかし、お互い様々な立場に立ってみて議論をした今回の研修では、これは素晴らしいなという意見がでました。

それは、介助者・支援者・援助者って何だろう?と、いう事。
介護や福祉の勉強をした時に一番最初に学ぶ事だけど、忙しい日々の中でついつい忘れてしまう大切な事。

福祉に関わるという事。介助者・支援者・援助者の役目。それは・・・

『アドボカシー( Advocacy )=代弁』

と、いう事。

つまり介助・支援・援助を必要とする「相手の立場になって」代弁する。
と、いう事。

「良かれ」と、思ったのは自分。つまり、それって自分本位であって、相手の立場になって代弁しているとはいえないよね?
と、いう意見。これ、こうして書いていると当たり前の事だけど、物凄く大切な事。

せっかく優しい気持ちで接していても。

「良かれと思って」差し出したコップ1杯の水。
「良かれと思って」かけた言葉。
「良かれと思って」差し出した手。
「良かれと思って」使った1枚の写真。

それが、ひょっとすると相手を傷付けたり悲しませたり、命に関わってしまったりしたら、そんなにも哀しい事って、辛い事って無いじゃないの。

だから毎日学ぶんです。
だから学びに終わりはないんです。

物凄く当たり前の事なんだけど。
伝えるって難しいですね。

伝える時もそうです。
相手の顔を見てお話しをしましょうなんて子どもでも知っている事です。

当たり前の事です。

だけど、懸命に伝えようとしても相手は返事をしてくれないだけじゃなくって、コッチに顔すら向けてくれない事もあります。

いっそ
「嫌いだ」「消えろ」「二度と姿を見せるな」と罵詈雑言を浴びせられた方が、どれだけ楽でしょう?
質問しておきながら、意見を求めておきながら、返事をしているコチラを、まるで道ばたに転がる石のように無関心な扱いをされる。
そんなに私は汚い存在ですか?見るに値しない存在ですか?
本当に寂しくなります。切なくなります。やり切れない思いでいっぱいになります。なぜそこに存在しているのか自分でも理解できなくなります。

誰に対して?

ちゃんと伝えられない自分にです。
だから、自分本位じゃなくって相手に寄り添って相手に解るように伝えようとするわけですが・・・

これもなかなか難しいもんです。

今回の研修では残念ながら時間切れとなりこの辺りで終了となりましたが、皆さんは、伝えたい思いが伝わらない時。

そんな時は、どうされていますか?

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スーパーでレジを打つ学生アルバイトの少女が教えてくれた事。

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我が家から徒歩30秒程にはスーパーがありまして。

そのスーパーでは、『おぼこい』とは、この子の為につくられた言葉じゃないかね?と言いたくなる程に物凄く良い意味で『おぼこい』学生アルバイトの少女がレジ打ちのアルバイトをしています。
※『おぼこい』の意味はコチラ → weblio辞書

この少女、その『おぼこい』見た目とは裏腹にめちゃめちゃ仕事のできる少女。
ピークタイムの大行列も颯爽と、そして丁寧にお客さんの対応する姿はまさに神業。

そんな少女の働くスーパーに行ったセミの鳴出した先月半ば、お目当てであるタイムサービスの刺身をゲットし、キャホルンルン♪とレジに向かうと、この少女に異変が・・・

髪の毛は明るく染まり、初めてだけど頑張ったんだねと感じる、ちょっと派手目のフルメイク。
まつ毛はニョイーン!とお空を見上げてる。

「いや〜、いいですね♪夏休みだね♪若人の夏ですなぁ〜♪」

って、おっちゃんは思ったわけです。

ところがドッコイ!会計を済ませ、刺身を肴に今宵は何を飲もうかしら?と袋に詰めていたその時。
隣で袋詰めをされている、おばちゃんコンビの、このようなお話しが耳に飛び込んできた。

「もっと他に今しかできん事あるやろに・・・」
「なぁ〜、ほんまケバケバしい!」
「何も似合ってへんがな。」
「あっ!奥さんも思た?」
ゲラゲラ、グヘグヘと大爆笑。

確かに接客業な訳だから、お客さんに与える印象って凄く大切。
だけどね・・・うぅ〜ん・・・そうかなぁ〜・・・

それが世代の感覚の違いと言われてしまえば・・・
それは「あんたは理美容師だから」と言われてしまえば、もう、何も反論できないけれど・・・

きっとこの少女は【新しい事にチャレンジ】しただけじゃないのかなぁ?
で、そのキッカケが夏休みであっただけじゃないのかなぁ?

そんな風にスーパーに行く度に、おしゃれにチャレンジしている少女に心の中で、そっとエールを送った今年の夏もあと少し。

昨日タイムサービスの刺身を無事ゲットし、レジに向かうと少女の姿は以前の『おぼこい』、だけどちょっぴり大人になった少女の姿に。

ホラね?この少女はちゃんとルール(校則)を守れる子なんだよ。夏休みという限られた時間のあいだ、思いっきり『おしゃれ』にチャレンジし、何かをちゃんと学んだんだよ。

そして何が一番嬉しかったってね。

彼女の接客はこの夏で今まで以上に丁寧で親切になったって事。

おっちゃんは、おばぁ〜ちゃんを売り場へ案内する時に大きなペットボトルのお茶が入ったカゴを、あなたは自然に手を伸ばし持ってあげたの見てました。
忙しい時も笑顔で目を見て接客している姿に背筋を正されました。

あの時、あのおばちゃんコンビに感じた違和感。それを解決してくれたのは、ある人が言った、こんな言葉。

「そろそろ今しかできない事をしろと教育するのはやめないか?今しかできない事なんて無いって教えるのが教育だと思うよ。」

各地で開催される養成講座に御邪魔し、幅広い年齢層の受講生さんと接するたびに、本当にそうだなって心の底から思います。

まぁ、これこそ世代の違いと言ってしまえば、もうそこまでなんでしょうけど。

学ぶ事、チャレンジする事に年齢なんて関係ないんだよ。
当たり前の事だけど、ついつい忘れてしまいがちな大切な事。

近所のスーパーでレジを打つ少女が再確認させてくれましたよというお話しでした。

だからね、携帯電話会社大手3社は「通話料・基本料金の学割は25歳まで」とか、もうそんな年齢制限は撤廃したらどうかな?

だって、学ぶ事に、学生になる事に年齢なんて関係ないんだから。

最期に、こんな事を言うから
「ええ歳してんだから、ゴチャゴチャ言う暇あるなら、もっと稼げ」
って言われちゃうんです。

グスン。

おしまい。

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